たまの探訪記 八王子城

 

八王子城跡入口広場。山中には案内図や標識もあまりないので、ここで地図を手に入れておきましょう。

八王子城跡入口広場。山中には案内図や標識もあまりないので、ここで地図を手に入れておきましょう。

市名「八王子」の元になった八王子城跡は大正年間(一五七二~九一)に築城されたと言われる。城下町は現在の市街地に移動し、現在は「元八王子」という地名のみ残される。 
築城したのは小田原に本拠地を持つ北条氏康の次男、北条氏照。鎌倉時代に執権政治を担った北条氏と区別するため「後北条氏」とも呼ばれる。

 

 

頂上近く、松木曲輪からの眺望。  城主であった北条氏照も、ここから北条氏の領地と今後の展望を見渡していたことだろう。

頂上近く、松木曲輪からの眺望。城主であった北条氏照も、ここから北条氏の領地と今後の展望を見渡していたことだろう。

氏照は武蔵国守護代であった大石氏から滝山城を引き継いだ後、甲斐の武田信玄の攻撃に備え、支城の一つとして、織田信長の安土城を見習って八王子城を築城したという。 
氏照不在をつき豊臣秀吉勢に攻め入られ、女子供も掻き集めて防戦したが防ぎきれず、わずか一日で攻め落とされた。 
落城後、廃城のまま江戸時代には将軍家直轄地となり、四百年余りほとんど人の手も入らず、良好な状態で保存された。

 

本丸跡。守城戦の際の最終拠点となる最も重要な曲輪で、山頂に建てられることが多い。

本丸跡。守城戦の際の最終拠点となる最も重要な曲輪で、山頂に建てられることが多い。

本丸を攻め落とせば、終わりである。だからこそ本丸は攻めにくい山頂に築かれた。入口広場から三十分ほど。八王子城の本丸近くに八王子神社も建立された。

それら城山最上部の要害地区とは別に、平時に城主や家臣が住んだ居館の跡も残されている。

 

 

八王子神社。本丸近くにあります。

八王子神社。本丸近くにあります。

今は広場となっている御主殿(居館跡地)。冠木門等は残念ながら実物を知るすべもなく想像により復元されたものだが、当事の雰囲気を感じることはできる。 
御主殿広場の横道を下りていくと、落城の際の悲しい物語が残る御主殿の滝へと続いている。

八王子の由来
室町時代、武蔵国から相模国にかけて、武蔵国守護代であった大石定久が権勢を誇っていました。天文15年(1546)その大石氏を軍門に下し滝山城を引き継いだ北条氏照は、元亀元年(1572)頃から新城の築城を始めました。その際に、城の鎮守として神社にまつられたのが牛頭(ごず)八王子権現で、そこからこの城を八王子城と呼び、八王子市の地名の由来となったと言われています。牛頭八王子権現は、延喜16年(西暦916)、現・元八王子の城山ふもとに、華厳菩薩という名僧が、夢に現れた牛頭天王とその8人の王子をまつったのが始まりといわれています。

 

 

居館跡の御主殿広場。冠木門や虎口は復元したもの。

居館跡の御主殿広場。冠木門や虎口は復元したもの。

思わず辺りを見回してしまった。 
地図にあった通り御主殿広場の横道を降りて行ったのだが、女子供が全員飛び込んだというイメージに合う滝は、付近に見当たらない。 


先客がしきりに川の一点を覗き込むので見てみると、凍って流れもないその川の、二階から一階を覗き込む程の低みに浅い水溜りが。 

こんなに狭い場所に、自刃した人々が次々飛び込んだのだろうか。なおさらやりきれない感じがした。

 

 

御主殿堤防から見る曳橋。戦の際は攻め入る敵をここで射ったのだろう。発掘調査によって現れた土台跡に復元されたもの

御主殿堤防から見る曳橋。戦の際は攻め入る敵をここで射ったのだろう。発掘調査によって現れた土台跡に復元されたもの

八王子城址の一角に、簡素な造りで赤い屋根のかわいらしいお寺「福善寺」があります。臨済宗妙心寺派の修行僧の修行場として建立されたものだそうです。

日陰にはまだ積もった雪の溶け残る、ある冬の日。「滑るから気をつけてね!」寂しい山道を一人とぼとぼ歩いていると、元気に声をかけていただきました。

 

落城の際に婦女子が自刃して飛びこんだという御主殿の滝。折からの寒冬で滝も凍っていました。

落城の際に婦女子が自刃して飛びこんだという御主殿の滝。折からの寒冬で滝も凍っていました。

この辺りで活動している「福善寺を守る会」の方々は、ボランティアで八王子城の解説などもしておられるそうです。 

「もう梅林が見頃かもしれないよー」 
情報もありがたいですが、孤独な途上の温かい会話にホッと一息つきました。

 

 

城跡から徒歩10分弱、北条氏照の墓。左右は氏照の家臣中山家範とその孫信治の墓が守ります。

城跡から徒歩10分弱、北条氏照の墓。左右は氏照の家臣中山家範とその孫信治の墓が守ります。

バス停「霊園前」より徒歩五分強、八王子城跡からは徒歩十五分ほどのところに、氏照の菩提寺である宗関寺があります。 
こちらには元禄二(一六八七)年七月、北条氏照百回忌供養のため鋳造された梵鐘が、太平洋戦争時の梵鐘の応召にも掛からず現在まで残されています。 
また、そこから徒歩五分ほどのところに、家臣であった中山家範とその孫中山信治の墓に守られるようにして氏照の墓がひっそりと建っています。

攻める豊臣軍一万五千に対し、迎え撃つ北条勢は女子供含めわずか千人足らず。城中総動員して戦いましたが到底力及ばず、女子供は全員自刃し、御主殿の滝に身を投げました。城山川の下流は流された血で三日三晩赤く染まったと伝えられます。その後川にはそれまで見られなかった蛭が大量発生し、里のものは被害を受けず、越後や信濃の者が川に入ると大量に集まって血を吸ったといいます。

 

ボランティアの方に教えていただいたように、これから三月にかけて梅林が見頃を迎えます。 夏も緑がきれいで、「兵どもが夢の跡」を思うには良い季節です。ですが、マムシや蜂の被害も考えられ、少々危険も。 登山で体が温まることも見込んで、まだ肌寒いこの時期に訪れるのもまた一興かと思います。

 

国指定史跡 八王子城跡
場所 東京都八王子市元八王子町
交通 JR・京王線高尾駅北口より
(霊園正門経由)恩方車庫/グリーンタウン高尾/宝生寺団地行き各バス
「霊園前」停下車徒歩20分。

 

※この記事は平成18年3月に書かれたものです。