出会いと別れ

2010年4月1日友人の一人と最後の別れをしました。
芹澤峰子さんが永遠の眠りに就きました。
彼女との出会いは20数年前、町田のとある税理士事務所でした。
そこの先生に声を掛けられて事務所で働かせて頂く事になりました。
その時の事務所での先輩が彼女です。
事務員2人と先生の3人だけのこじんまり?した事務所でした。
でも仕事量はそれなりに忙しかった記憶がありました。
仕事では私のほうが先輩でしたから、結構怒られ(私に)ながら、
それでもパソコン入力は私が後輩で怒られていました。
バランスの取れた関係だったとおもいます。5年位一緒でした。

私が事務所を辞めてからしばらく行き来が途絶えていましたが、
ある日町田の駅で偶然出会い、それから又交際が復活したのです。
縁あってエイトに入社して同じ職場で働く事ができました。
それから3年、身体の不調を感じ検査を受けた時には
乳癌でレベル4と言われたそうです。
そして手術、闘病生活に入りました。

1年後に戻ってくる事ができましたが
週1回の抗癌剤の投与それにもかかわらず、
又不調そして休職その時医師から後3ケ月位と宣告されました。
でも又復帰できたのです。
その時には全身に転移していたようですが
持前の頑張りで仕事をしていました。
そして1年半仕事に励んでくれていました。

そう1ケ月半位前でした。
酷く衰弱したようすでしたので
救急車で、病院に搬送して貰いました。
一旦は良くなって家に帰ったのですが再入院、
そして帰らぬ人になってしまいました。

3月30日にお見舞いに行った時には話しも出来て、

「今度6月頃女性だけでエクシブに行くので
一緒に行けるよう早く良くなって」と

話しましたら嬉しそうに

「行く」

と答えてくれました。
それがこんなに早く亡くなってしまうなんて・・・

今日はエイプリルフール、
どうぞ嘘であって欲しい、でも現実でした。

痛いだの苦しいだの一言も聞いた事はありませんでした。
相当辛かったと思います、もっと愚痴をこぼせば良かったのに・・・
頑固で涙もろくて、頑張りやで、口が悪くて、
でも廻りに気を使って明るく振舞ってくれて。
貴女の勇気と思いやりを心に留めます。

まだまだ伝えたい事いっぱいありますが、
長い間有難うそしてゆっくり休んで下さい。
ずっと皆を見守って下さい。
愚痴がでそうになったら貴女の事を思い出します。
馬鹿な事を考えたら叱って下さい。

肉体は滅びても貴女はいつまでも私の心の中に住みついていてね。
何度も有難うを繰り返します。

取締役 管理本部 本部長 平澤 優美