私の父の出身地に沖縄県最古のシーサーがあります。
幼い頃からそのシーサーの存在は大きいシーサーということだけを
知っていましたが、大人になってから数十年ぶりにそのシーサーを
先日観に行きました。
土地に慣れていないと迷ってしまうほど細い道を通るのですが、
今では案内板、駐車場が出来たようです。あまりメジャーではない
観光スポットなので昼間訪れても静寂で神聖な雰囲気でした。
駐車場からそのシーサーがある場所までは階段で上がるのですが、
入口に「勢理城(じりぐすく)」と書かれており、
この場所が琉球王朝時代、城(グスス)だったようですが、
痕跡は何も残っていません。階段をあがるとすぐにシーサーが
お出迎えしていました!
小さい頃見た時はとても大きく感じましたが、今見てもやはり
大きいシーサーでした(高さ140センチです)。すぐ側に説明が
ありましたが、1689年にここで火災が絶えないことで、
シーサーを建立して儀式を行ったところ火災が収まったと
当時の琉球王朝の記録に掲載されていることから、
シーサーは火除けとして沖縄の瓦屋根の上に置かれるきっかけを
作ったシーサーだそうです。
このシーサーこそが沖縄のシーサーのオリジナルということです・・・。
またこのシーサーを有名にしたのが沖縄戦で米軍に撮られた写真でした。
沖縄南部は沖縄戦が終わる時期に激しい戦火になった場所であり、
この場所も多くの防空壕や野戦病院の壕があります。
その中で米軍が南下してきた際の一枚の写真で、いくつもの弾痕が
今でもはっきりと分かります。
戦争で壊されず300年以上という長い歴史を見てきた
このシーサーは沖縄県の有形民俗文化財として登録されています。
小さな頃から知っている場所にシーサーのルーツを感じることが
出来たことに感謝と誇りを持ちます。
※正式名称は富盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし)。
大きいことを沖縄の方言で「うふ」と読みます。
写真キャプション:
大獅子:一つの石から彫られていますが、
その大きさは県内最大最古と言われています。
戦時中大獅子:沖縄戦での大獅子。米軍が撮った大獅子。
激戦地でもあったこの周辺は天然の洞窟が多くあり、
日本軍と米軍が激戦を繰り広げていた場所です。
激戦を繰り広げていた場所です。
米軍・海外事業部 沖縄嘉手納営業所 所長 神谷卓哉