エイト社員ブログ 「大病」

2015年の9月9日、仕事中突然背中に激痛が走り、
胸が苦しくなって仕事場で倒れました。
実を言うとその4日ほど前からずっとだるく、腰も痛く、体調が最悪でしたが、
たぶん夏バテだろうと軽く考えていました。

9/5の土曜日は本社に急用があり、行く途中の電車でも体調最悪と友人に
ラインしていましたが用事を済ませ帰る頃には少し楽になり、
自転車で翌週の13日に受ける予定のTOIECの会場を
確認したりしてから自宅に戻りました。

でも、やはりだるいし腰も痛い。せっかくの土曜日でしたが午後からは
横になっているしかなかった。そしてその翌日の9/6日曜日も
何もやる気がおきないのです。やりかけのパッチワークも、
いつもの冷蔵庫の作り置きも、何もかも、やる気がおきません。
ただ、ただ、一日中、横になっていました。

そしてその翌日の9/7月曜日。軍休で仕事はお休み、
でも病院は開いているのでチャンスとばかりに整形外科で腰を診てもらいました。
湿布と飲み薬が処方されたのですが、あまり良くなる気配もなく火曜日が過ぎ、
9/9水曜日、10:50頃、突然の激痛に襲われることとなった。

いったい自分に何が起きたのか、現実について行くことが出来ない。
座っているのも苦しくて愛用のひざ掛けを床に敷いて横になりました。
同僚が「救急車を呼ぼうか?」と訊ねるのですが、
とにかく苦しくて答えることもできない。
別の同僚が、「そんなこと、聞いている場合じゃないよ。呼ぶんですよ!」と
119番に電話してくれました。

最寄りの救急車が事務所に到着したのはそれからどれほど経ったのか
分かりませんが、血圧を測ったり、親族に糖尿病はいるか、心臓病はいるか、
同様な症状はいるか、等々聞かれ、
遠くの方で「意識ははっきりしている。」などと聞こえる。

臼井部長も事務所に駆けつけてくれ、心強くなれました。
ただ、現場の病院には入院できないので別の救急車を待つこととなった。

その救急車は11時49分頃に着き、乗りこむ頃には足もしびれて感覚がなく、
立ち上がれるか自信がありませんでしたが、何とか救急隊員に抱えられて
立ち上がれたときは、〔自分の足で歩けるのが嬉しかったです。〕

救急車まで抱えられながら必死で歩いたのですが、
「大丈夫です、僕が支えているから、無理に歩かなくていいですよ。」と言われ、
救急車のベッドに横になりましたが、意識がだんだんと朦朧として、
半分寝ている感じ。それから搬送先が昭島の病院が決まり救急車が出発、
病院に着いても朦朧とした意識がますます遠のくばかり。

しっかりしろ!! ママの子でしょ!! と天の声が激を飛ばす。

問診の後CTスキャンで緊急手術が必要だと言われても、
なかなか自分のこととは思えずにいました。結局この病院でも手術は出来ないので、
又、次の搬送先をお医者様が電話で探して府中に行くことが決まった。
先生が受話器を置いたとき、

私  → 「先生、今の緊急手術って私のことですか?」
先生 → 「そうですよ、あなたですよ!」
私   → 「私、そんなに悪いのですか?」
先生 → 「はい! 非常に危険な状態です!! 大動脈乖離で最短で4時間以内、 
            長くても48時間以内に処置しないといけません。」

がーーーーーーーん!!!   でも、やっぱり信じられない。

だって、日ごろの私はすっごく元気なのです。唯一、15年ほど前から
血圧が高め(148-98)で降圧剤を飲んでいましたが、
一日13000歩のウォーキング、食事もヒジキや豆腐、お野菜、果物。
人間ドッグでも血液さらさらのお墨付きを頂いてるのだ。
そんな私が《緊急手術が必要です》と急に言われても、
俄かには信じることが出来なかったのです。

続く