前回、お話させて頂きました通り、
最初に運ばれた病院で緊急手術が必要といわれたのですが
手術する先生がいないとのことで、府中にある榊原記念病院に
再搬送されることになりました。
なんと、先生が「僕も救急車に一緒に乗っていきます。」と、仰るのです。
その先生の言葉で、漸く、ノー天気な私も自分の状況が飲み込めてきました。
〈非常に危険な状態〉=〈生死にかかわる状態〉・・・・・
救急車に揺られること約1時間。榊原記念病院に着くと
間髪入れずに待ち受けていた看護師さんたちに手術室に運ばれました。
そしてテキパキと手術の準備に。緊急手術のため
事前の私のデータが何もありません。血液型も身長も体重も、
過去の病歴も、何もないのです。でも、どの人も真剣そのもの。
見ず知らずの私の命を助けるために必死で、
そのピーンと張った空気に圧倒されるばかりです。
医療に携わる方々は本当にすごいですね。
手術までの準備の間、姉と娘が来て動揺していた。
「大丈夫、頑張るから! 私死んだりしないから。」と言いながら、
実は天の母に「どうか守って、こんなふうに急に迎えに来られても、
着いて行かないよ。」と話しかけていました。
まだ娘の赤ちゃんの顔も見てないし、やりたいこともたくさんある。
図書館で私が翻訳した童話を孫に読んであげたい。
「死んでたまるか!!」
そうこうしているうちに、本格的に麻酔が効いて
次に意識が戻ったのは看護師さんに起されたときです。
「大動脈を人工血管に換えました。手術は成功しましたよ。」
うんうんと頷きまた意識が遠のき、
次に目覚めたのは姉が私を呼んだときです。
目を開けると3メートルほど離れた所に姉、娘、娘婿がいました。
皆、目に涙を浮かべていましたが安堵の顔でした。その顔を見て、
「ほらね、私死ななかったでしょ!」と
手術台で横たわったまま手を振りました。
頭の方にいた看護師さんが「こんなにポジティブな患者さんなら大丈夫ね。」
という声が聞こえました。
臼井部長もずっといてくれて心強い限りでした。
ありがとうございます。
翌日は集中治療室でお会いできませんでしたが、
豪雨の中、白柳会長、臼井部長が来てくれました。
ご心配おかけして本当に申し訳ありません。
たくさんの方々の励ましの言葉、本当にありがとうございます。
退院した後のリハビリも、正直、三か月位はきつかったです。
一日10分でいいから歩くように言われていたのですが、
この10分もきつい。
秋の気持ちの良い空気を深く吸いながら多摩川浄水を歩きましたが、
めっちゃ!! きつい!!
上水歩道の孝行松まで3分歩いただけで、ベンチに腰掛けて息を整え、
綺麗な紅白の彼岸花に励まされながらも10分歩かずに家に戻る始末。
手術から二年、おかげさまですっかり元気になり
15分程度のスロージョグも許可されました。
日常生活には全く支障なく、美味しいものを食べて、
綺麗な空を見て、馨しいお花に癒されて毎日が充実しています。
自分が一人では生きていないこと。
皆に助けられて、支えられていること、
心から有難うを言わせてください。
米軍・海外事業部 係長 Y. M.