今から二十数年前、私は全日本ロードレースF1クラス
(オートバイの750cc)参戦に夢中になっていた。
いくつかのプライベートチーム契約を経たのち、ヤマハ本社の
実験部と契約する機会を得た。
それはとても名誉であり人生最高のチャンスでもあった。
なにしろメーカーチームはそれまでのチームとは比べ物に
ならないほどの体制だからだ。私一人のライダーに対して
メカニックだけでも5人いて、マシン
(レース用バイク:1台1千万円以上)
2~3台、タイヤが付いたスペアーホイル10本以上、
スペアーパーツは数え切れないくらいある。
プライベートチームの頃は、マシン1台でメカニック1人、監督1人、
ヘルパー1人って感じなのだから比べようも無い。
当時の私は、レースもけんかも負けん気全開だった
(レースだから当たりまえだけど)。だからと云うのも変だが、
人への気配りなんて気にした事も無い。
なにしろ、
「別にそれでも、ここまでこられたんだから」
と思っているから性質が悪い。
レースウィーク中でも、練習走行を終えて夕方になると、
早くホテルに帰ってビールが飲みたいもんだから、
一所懸命整備してくれているメカニックの人たちに
「早く帰ろ~よ!」って自分勝手なことばかり言ってた
(ちなみに超一流選手は、こんな時間にランニングとかトレーニングを
していた。今思えばこの差が大きい)。
それでも、みんなは私の機嫌を損ねないようにと、データー整理など
一部の仕事を宿に持ち帰って早く帰れるようにしてくれていた。
宿では毎晩が宴会の様だった。まあ酒が好きな人も多かったが、
みんなは仕事で来ているわけで、遊びでは無い。
なにしろ実験部なのだから、いろんなデーターやパーツを
テストし分析するのだ。
翌朝は早くからメカニックの人たちはサーキットに入り、
その日の天気や気温に合わせセッティングを変えて、
私が走る準備を万全に整えている。
私はいつも一人で重役出勤だったので、その様子はほとんど
見たことないけど(笑)。
こうして整備されたマシンで走るが、「加速が悪い」だの
「最高速が延びない」だのと悪たれをついてみんなを困らせる
(ちなみに私のマシンの最高速は285km/hで、
他の早いマシンは290km/hくらい)。
こんな感じで年間10レースくらい練習・予選・決勝と走り、
入賞したり転んだり入院したりと、いつもお騒がせなライダーだった。
それでもみんなは、なんと3年間も私を起用(1年毎の契約)
してくれたのである!!
今、非常に後悔しているのが、あの頃のみんなへの言動や行動だ。
できることならやり直したい。思い出しても恥ずかしいし、
大バカだった(今の私がメカだったら殴ってる)。
当時のみんなには感謝と云う言葉だけでは足りないくらい、
よくこのバカライダーにつき合ってくれたものだ。
本当に人生貴重な経験をさせてもらった。
建物総合事業本部 副本部長 花村 忠昭