管理本部、伊藤です。
この度、バリ島社員研修旅行に参加させていただきました。
まずはこのような貴重な機会を頂けましたことに感謝申し上げます。
まずはこのような貴重な機会を頂けましたことに感謝申し上げます。
さて、3泊5日の研修旅行中、イベントごとは語りつくせぬほどあり、学び気づきも多かったのですが、今回は特に印象に残りましたマルガラナ英雄墓地に関してのみ、ご報告させて頂こうと思います。
1945年8月15日、第二次世界大戦において日本が降伏した直後、インドネシアは独立を宣言します。しかし、周囲には日本軍が撤退したのち、植民地として再占領を狙う連合軍がひしめいていました。
インドネシアの人々は義勇軍を募り、オランダの再占領に抵抗を試みます。しかしながら、組織立った軍隊を今までに持ったことのない人たちに、到底勝ち目はありません。
そこで、一部の日本兵が敗戦後も撤退せず現地に残り、インドネシアの人たちとともに戦うことを決意します。
バリ島における独立戦争最大の激戦地となり、玉砕戦とも呼ばれたマルガナラの地に多くの血が流れその中には多数の若い日本兵も含まれていました。
彼らはなぜ、ようやく日本に帰れる機会をみすみす手放し、異国の人々とともに戦うことを選び、そして死んでいったのでしょう。
そもそも日本が対外進出を進めた大義の一つには、欧米列強の植民地政策からアジア諸地域を解放する、というものがありました。複雑な状況がありますから、ここでいろいろ述べることはしませんが、虐げられている人を解放するために、一命を賭す決意でインドネシアへと赴いた兵士も少なくなかったと思います。
彼らのその強い想いが、どこから来たものなのか。
今回の研修で訪れたマルガナラ英雄墓地は、とても静かで、緑は美しく、のんびりとした時間が流れ、言われなければこの場所で多くの人の命が失われたとは思えない場所でした。
千基以上ある墓石の中で、旭日をあしらった鉢巻が結ばれた墓石が12基。研修に参加した皆で、一つ一つ線香を手向け、祈りをささげて回るなかで、自然と神妙な気持ちになります。
墓石に刻まれた享年は20代半ば程度。果たして自分が20代だった時、それどころか40代になる今持ってなお、ここに眠る彼らほどの強い気持ちと心構えを持って毎日を過ごしているかと自問し、恥じ入るばかりでした。
その命を代償に、未来への道を築くため異国の地に残った日本人と、共に命を懸けて戦い私たちが平和に訪れることのできる地を残してくれたバリの人々に、心からの感謝と哀悼を捧げます。
(厳粛な心持のあまり、写真を撮ることもはばかられれ、申し訳ありませんが画像がありません。ただ、ご興味を持たれた方はぜひ一度現地を訪ねられ、その空気から感じられることをお勧めいたします。)
管理本部 夢の力 伊藤 博