知覧研修で学んだ「生きる」こと①

皆さん、おやっとさあ。
※おやっとさあ:鹿児島弁で「お疲れ様」です(^_-)

1月18日(金)、19日(土)の2日間で、
鹿児島県にある知覧という場所に研修に行かせて頂きました。
事前学習として、「俺は、君のためにこそ死にに行く」という映画を観ました。
この映画は、戦時中に軍指定の「富屋食堂」をやり、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんのお話です。気になる方はぜひ観てみてください。

ところで、なぜ知覧?と疑問に思われた方もいるのではないでしょうか。
皆様、「特攻隊:特別攻撃隊」をご存知ですか。
知覧は、大東亜戦争(太平洋戦争)の時に特攻隊の出撃地となった場所なのです。
今回の研修は、特攻隊のことを知り、「生きる」ことについて学ぶのが目的です。

さて、18日(金)のお昼頃に
羽田空港に集合し、
いよいよ知覧研修の始まりです。

「今回の研修は名ばかりのものではないので、厳しいことも言います。」という上司のお話があり、全員が研修への心構えをもちました。

飛行機に揺られること2時間。
鹿児島空港に到着しました。私が帰省するときも同じ空港を使っているのですが、今回は実家に帰るわけではないので、なんだかとても不思議な感じでした。

そして、大阪支店、沖縄支店の方と合流し、バスに乗り込みます。泊まる旅館までは1時間半ほどの道のりでした。車内では、会長による知覧の説明後、研修への意気込みを1人ずつ発表しました。

さて、旅館に着くと女将の鳥濱初代さん(鳥濱トメさんの長男の妻)とトメさんのお孫さんが出迎えて下さいました。初代さんは「この旅館は、当時の不便さを感じて頂くための旅館です。」と始め、大まかに特攻隊の話をして下さいました。初代さんの話が終わったあとは各部屋に荷物を置き、別館に移動しました。

別館では、「日本の特攻隊に対する各国のメッセージ」と「知覧からの手紙」の動画を観ました。

「日本の特攻隊に対する各国のメッセージ」では、特攻隊のすごさを知りました。生還する可能性がないこの攻撃法は世界の人に衝撃を与え、日本人はこれを誇りに思うべきだと言っている方もいました。また、「知覧からの手紙」では、明日に特攻を控えた若者が愛する家族、兄弟、恋人に綴った手紙を読みました。一番印象的だった手紙は、藤井少佐のものでした。藤井少佐は、少年飛行兵に精神教育を行っていましたが、「自分の教え子だけを征かせるわけにはいかない。」と思い、教え子たちとともに特攻を志願します。しかし、「お前には妻と幼い子供が2人いるだろう。」と、志願を受け入れてもらえませんでした。これを知った妻は、自分たちがいると思う存分活躍できないだろうと思い、「お先に逝きます」と残し、2人の子を連れて入水自殺をしました。そして藤井少佐は亡き妻と子に宛てた手紙を書きました。これを知って、これに負けない家族愛をもちたいと思いました。


また、「今の気持ちを手紙に書いて、大事な人に送りましょう」というものがありました。普段照れて言えない「心からの『ありがとう』」を伝えるため、各自で手紙を書きました。

別館での研修後は、
夕食を頂きました。

この夕食は当時のものを現代風にアレンジしたものです。白米、お味噌汁、煮物、さつま揚げ、お豆腐、酢の物、さしみこんにゃくを頂きました。鹿児島の名物である「さつま揚げ」がとても美味しかったです。

明日は早朝からの研修です。

続きはパート2をご覧ください。