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平成31年1月17日、阪神淡路大震災追悼の為、
神戸の東遊園地まで足を運びました。

神戸の街は震災などなかったようににぎわっています。
まず入り口で焼香を済ませ、
竹灯籠と希望の灯に手を合わせて亡くなった方々の冥福を祈ります。

寒い平日の昼間にもかかわらず多くの人が焼香に訪れておられました。
沢山の竹灯籠の一つ一つに思いを込めたメッセージがしたためられ、
見ると胸が詰まり、又毎年行事の準備と片付けを行っておられる
ボランティアの方々には本当に頭が下がります。

平成9年1月17日、当時私は神戸と大阪の中間にある西宮市で
母と二人、暮らしていました。

早朝突き上げるような縦揺れに叩き起こされ、
気が付いた時には家具が倒れ部屋中がぐちゃぐちゃになっていました。
揺れが収まったのち、停電で真っ暗な中、
隣室で寝ている母親の様子を見に行くと母はたんすの下敷きになっており
何とか助け起こしました。

幸い私も母も打撲程度のけがで済み、その後だんだんと明けてきた外の様子をベランダから見ると、いつも眺めていた阪神高速道路の姿がありません。
これはえらいことが起きているのだなと思いながらも、電話は通じないし、電気ガス水道も全部止まっていて、どうしようもないので、近所の人たちと情報交換を行い、その後窓から入る朝日を頼りに母の部屋の片づけを始めた事を思い出します。

数時間後に市内だけは電話が通じ始めたので、親戚や友人(ほとんどが市内だった)に連絡を取って安否を確認しました。

その日遅くに電気が復旧し、初めてテレビで自分の生まれ育った町がどうなっているのかを知りました。
その後、二か月ほどでガス、水道も復旧し、春には鉄道も通じ、少しずつ町が元通りになってゆきます。

6400人余りの方が亡くなり、その何倍もの人々が負傷し、焼け出され、寒空の下、家も仕事も失いました。


そんな人々を助けるため、元通りの生活を取り戻すため、医療、警察、消防、救急、自衛隊、自治体、電気、ガス、水道、鉄道、建築、流通関係等々の方が文字通り不眠不休で働いて下さいました。

そしてたくさんのボランティアの方々、
救援物資、義援金を寄せて下さった方々。

全ての方に感謝いたします、ありがとうございました。

建物総合事業本部  公下 修一