知覧研修 I

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子犬を抱いた少年兵は17歳。
屈託の無い笑顔を見せる仲間も18歳から21歳の年齢です。
翌朝 沖縄の海に命を散らす運命に
自ら赴く直前の姿です。

6月20日 鹿児島県の知覧へ1泊2日の研修に
参加させていただきました。
我が国が辿った 戦争の記憶を語り継ぐ者も少なくなった現代に
歴史の舞台となった地から 生きることの大切さ 感謝と気付きを
学ぶ現地体感型の研修として とても感慨深いものでした。

知覧は、日米開戦の真珠湾攻撃の訓練地として
パイロット・整備員の養成を行うため開設されましたが
大東亜戦争もその中期以後になり
ミッドウェイ海戦を境に 戦勢我が国に利せず
次第に悪化の一途を辿るようになると
本土最南端という地理的な重要性が高まり
陸軍航空基地となりました。
又、航空機の航続距離や燃料の消費から利便性に優れるため
日本最大の特攻基地となり
昭和19年10月より特別攻撃隊として 知覧を飛び立った少年兵は
1,036人に及びます。

全国から応召された少年飛行兵たちを 出撃命令を受けるまでの
短い時間、母のように慈しみ、慰め 送り出してきた「富屋食堂」の
鳥濵 トメさんが戦後に遺族を泊めるため作った 富屋旅館に
宿泊させていただきました。

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ちょうどトメさんの誕生日を期して“トメさん観音堂”のお披露目式典
に列席し、富屋旅館の三代目女将 鳥濵 初代さんのお話しを聞く
機会を得ました。

トメさんは平成4年に89歳で亡くなられましたが
初代さんは、トメさんの信念と志 そのままに歴史の真実を語り継ぐとともに
生きる事・生かされている事への感謝。 
恒久なる平和への祈りを日々説かれている方です。
富屋旅館を“思いのままに・・気づきの宿”として保存し
訪問するたくさんの方に 語り部として、又 戦時中の遺跡に同行して
今まさに頭上を零式戦闘機が旋回していくような 
臨場感を覚えるお話しをしてくださいます。

生涯を慰霊と参拝に捧げたトメさんと同じく 初江さんもまた至誠の人。
孟子の言葉のように
“至誠にして動かざる者 いまだこれあらざるなり”
(真心をもって一生を生きていく)

富屋食堂は現在“ホタル館”として特攻隊員の遺品、写真を展示し
資料館として保存されています。
凝縮された歴史の重さ 物言わぬ写真の清冽な眼差しのメッセージに
圧倒されます。 

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不動産事業部 課長 田中 一美

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