「この先生、頼りないな」
泌尿器科の若い先生の携帯に着信があり、何かしゃべりながらその場を少し離れたすきにぽつりと独り言のように呟いた妻。
ここは病院の診察室。つい先ほど、モニターの画像を見ながら先生が無表情で宣告した。
「上皮内癌です。」
自分が癌に罹患するなんて想像すらしなかったので、その残酷な宣告を他人事のように聞いていた。早速、隣の妻は何やらその若い先生に質問していたが、ややそれが涙交じりの声だったので、やっと事態の深刻さが私に伝わってきた。急速に全身の力が抜けてゆくのが分かった。
1年ほど前に予兆はあった。急激な尿意。いざトイレに駆け込んで用を足すもあまり出ないといった症状が何度か続いたが、その時はさほど気にしなかった。しばらく何もなかったのだが、そんな症状のきついやつが1年ぶりに私を襲った。流石に心配になって受診した。
若い先生が携帯をしまいながら戻ってきた。
「担当は部長先生にお願いします」
妻が躊躇なく言った。その若い先生はやや戸惑いながら不本意そうに
「・・・えぇ。いいですよ。わかりました」
妻がそう判断した根拠は私にはわからない。その若い先生のちょっとした言動、あるいは仕草か何かが彼女をしてそう言わしめたのだろう。
何はともあれ、私はベテランの部長先生にその後は診てもらい、精神的にも楽だった。
妻は言わば病院マニアである。ちょっと肩が痛い、指先がしびれる、微熱があるといっては病院を受診する。月のうち半分は病院に行っているような感じだ。だから、こういうときは経験豊富な妻に従うのがベターである。
手術が決まり、1週間ほど入院することになった。生まれて初めての入院体験だった。何もしないで終日ベッドに横になっていると時間のたつのが早く感じられた。ベッドに座ってボーっとしていると、あまりいいことは考えない。このまま死んでしまうのかと思うと涙があふれてきたりした。幸い自宅が近かったので、毎日、妻が見舞いにやってきた。着替えや身の回りの物を買って持ってきてくれたりもした。
手術のあとの定期処置(BCGといって豚の結核菌を膀胱内に注入する)も無事終わり、定期検査も今のところ異常はない。ある日、定期処置ではいつも部長先生に処置していただくのだが、その日は急用で代わりにあの若い先生が担当すると聞き、嫌な気がした。
「わざと痛くしないかしら」
不安でベッドに横たわっていると、現れたのは知らない別の医師だったのでほっとしたのを覚えている。
ちょっとしたことが生死をあるいはその後の運命を決定づけるとすれば、あのときの妻の
「部長先生にお願いします」という発言がなければ、今頃私はあの世に行っているかもしれない。妻には感謝しても感謝しきれないと思う今日この頃である。
建物総合事業本部 山畑 道憲