ちょっと残念? でも魅力いっぱいの纏向遺跡

奈良観光といえば、たいていの方は、東大寺や春日大社、興福寺などがある奈良市内を思い浮かべることでしょう。

ですが、私のおススメはがぜん、桜井市。奈良県北中部、奈良市から天理市を挟んだ南にあります。

この桜井市、何がすごいのかというと、要するに、日本の始まりの地と言ってもいい場所なのです。

ヤマトタケルが望郷の思いにかられて詠んだ、「やまとは国のまほろば、たたなづく青垣……」という歌がありますが、ここで称えられている「やまと」がだいたいこの辺り。

ヤマトタケルが活躍したのは、4世紀前半とされる景行天皇の御代。その景行天皇が座した皇宮が、纒向日代宮。その伝承地が桜井市にあります。ちなみに、先代・垂仁天皇の宮(纒向珠城宮)の伝承地もご近所。その先代・崇神天皇の宮(磯城瑞籬宮)も桜井市内。

そして、桜井市には、3世紀代からはじまる集落遺跡、「纏向遺跡」があります。

纏向遺跡は、日本最古の神社と言われる大神神社のご神体、三輪山の北西、JR巻向駅周辺にある、南北約1.5㎞、東西約2㎞におよぶ巨大遺跡。

ヤマト王権の発祥地であることはほぼ定説となっており、年代的にかぶることから、邪馬台国(の王都?)と考える研究者も少なくありません。

畿内はもちろん、中国・山陰地方や九州、四国、東海地方などの土器がごろごろと出土しており、列島各地から人々が集まっていたことは確実。日本最古の“都市”であったとする研究者もいます。

で、実際に足を運んでみると……。

写真にあるように、さほど広くない、居城遺跡の柱を復元した史跡公園がポツン。これでも、地域の方々の尽力により、整備された結果なのです。この場所、数年前はほんとにただの原っぱでした(苦笑)。というか、もともと集合住宅や一戸建て、学校などが立ち並ぶエリアですから、広大な史跡公園なんて望むべくもありません。

ただ、お隣の磯城郡田原本町にある弥生時代の環濠集落遺跡「唐古・鍵遺跡」(遺跡の規模自体は纏向遺跡の10分の1程度)は、非常に広大かつ、写真のように立派な楼閣も復元された、大史跡公園として人気を集めていますから、少しばかり残念ではあります。

もちろん、纏向遺跡には、居城跡の史跡公園だけではなく、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳、最古の前方後円墳とされる、纏向古墳群などもあるので、見どころは十分。

ちょっと足を伸ばせば、先述の大神神社、天照大神が崇神天皇の皇宮から離れ、最初に祀られた笠縫邑、すなわち、最初の元伊勢(天照大神が伊勢神宮に遷る前に祀られた場所)に比定される檜原神社もあります。

古代史ファンにとっては、1日過ごしても足りない、巨大なテーマパークのようなもの。よくぞ、こんな夢の町が存在してくれたものだと、感謝の気持ちでいっぱいです。

建物総合事業部・大阪支店 志方正紀