令和元年8月26日から30日の2泊4日でカンボジア研修に参加させて頂きました。
1日目はトゥール・スレンとキリングフィールドを見学しました。
ポルポト政権とカンボジアで起きた大量虐殺、ポルポト政権下では300万人、国民の1/3が殺されたと推定されています、トゥール・スレン博物館(S21)はポル・ポト政権時代に粛清という名目で大勢の政治犯が捕らえられ収容された建物で、もとは学校の校舎を刑務所に転用したものです、また、政治犯と言っても実際は、ほとんどが罪なき一般人、農民、教師、技術者などが捕らえられ家族と共に収容されたそうです、そのトゥール・スレンにはA~Dの4つの棟があり尋問室、雑居房、独房などに分かれている、尋問室には尋問の様子の写真と現物で当時使用されていたベッドや手足を縛る器具などの展示がありました、独居房は煉瓦で作られていてこの独居房も生々しく残され展示してありました、1975年~1979年、今から44年前に私が4歳~8歳の時当時の日本では考えられない出来事ですが、カンボジアではこの様な悲惨な出来事が行われていた事をトゥール・スレンを見学して初めて知り言葉に詰まる思いや悲しみと恐怖心などを感じました。
トゥール・スレンの次はキリングフィールドの見学です、キリングフィールドはカンボジア全土で300ヶ所以上見つかっているそうです、今回の研修ではその中でも最大と言われる首都プノンペンにあるキリングフィールドを見学しました、ここはトゥール・スレン(S21)に付属する刑場として造られたそうです、ここでは慰霊塔の周りをグルリと1周するような順路で日本語音声ガイドを聞き歩きながら見学しました、奥に進むと何かは分かりませんがかなりの異臭がしました、そして中でも私が気になったのはキリングツリーです、この木に赤ん坊の頭を打ち付けて殺したのです、周囲には脳みそが散乱したと言います、なぜ?赤ん坊まで殺す必要があったのでしょうか、「雑草を取り除くなら根こそぎ」ポルポトの言葉だそうです、現在のキリングツリーには沢山のお供え物がありました、この木を見ているとあまりの残酷さに当然言葉もなく悲しく、ただ手を合わせる事しかできませんでした。
私達は生を受ける時、生まれてくる国は選べません、過去に何か国かの国に行きましたが日本は衣・食・住には本当に困らない幸せな国だとつくづく実感します、産んでくれた親に感謝しなくてはいけないと思いました、トゥール・スレンやキリングフィールドを訪れた者の使命として、このような悲惨な歴史を繰り返さない為にも次世代に語り継ぎ、そして多くの人々にこの出来事を知ってもらえれば幸いです。
No2へ続く
建物総合事業本部 小坂 雅巳