宇陀の元伊勢で倭姫命を空想する

今回は「元伊勢」を目指し、奈良県桜井市、宇陀市を巡りました。
元伊勢とは、天照大神が伊勢神宮に遷る前に、一時的に鎮座した場所、その伝承地のこと。
10代崇神天皇の御代、宮中に祀られていた天照大神は、神威があまりに激しく「同床共殿」に耐えられないということで、笠縫邑という土地にお祀りされるようになりました。この時、大神にお仕えしたのが豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと=崇神天皇の皇女)です。

鎌倉時代に編纂された神道書「倭姫命世記」によると、天照大神(と豊鍬入姫命)は、笠縫邑ののち、丹後半島に遷り、大和に戻って「伊豆加志宮本宮」に鎮座します。その「伊豆加志宮本宮」に比定されるのが、「與喜天満神社」。もちろん、諸説ありますが。

前のブログでも紹介しましたが、このお社は、日本最古の天神(菅原道真公を祀る神社の総称)とされています。その一方で、元伊勢でもあるという、ダブルのありがたさを持つ聖地です。

時が経ち、天照大神を奉斎する役目は、豊鍬入姫命から姪の倭姫命(やまとひめのみこと=11代垂仁天皇の皇女)に代替わりします。この姫君も天照大神の望むまま、その「御杖代」(依り代、もしくは、先導役の杖)として、大和から伊賀、近江、美濃、尾張を巡り、最終的に現在の伊勢神宮に落ち着きます。

その巡幸ですが、倭姫命世記によると、まず、弥和乃御室嶺上宮(桜井市の大神神社に比定)を出立し、「宇多秋宮」に遷ったそうです。宇陀市の「阿紀神社」がそれ。

ここに4年間とどまったのち、「佐佐波多宮」に遷ることに。同じく宇陀市の「篠畑神社」です。宇多秋宮から旅立つ際、倭姫命は「(天照大神が望む)良い場所があれば、未婚の童女に会えますように」と祈っていました。占いみたいなものでしょうが、実際に篠畑の地で、宇太乃大称奈(うだのおおねな)という少女に出会います。

ゆえに、この地にとどまることにしたのですが、結局、天照大神は満足せず、大和を飛び出し伊賀へ向かうことに……。なお、この時出会った宇太乃大称奈も旅の仲間に加わります。RPGみたいですね(笑)。

長い旅の末、倭姫命は伊勢神宮を創建します。
ただ、世間的に倭姫命は、その事績よりもヤマトタケルの“優しい叔母さん”として有名かもしれません。
古事記によると、ヤマトタケルは、父である12代景行天皇(=倭姫命の異母弟)から矢継ぎ早に過酷な遠征を命じられ、「父上は私が死ねばいいとお思いか……」と嘆きます。そんなタケルに、倭姫命は草薙剣などのマジックアイテムを与え、陰から援助します。

初代神武天皇の、大和建国に至る東征の際、天照大神は天にあって眷属や神器を遣わし、神武を手助けしました。ヤマトタケルの物語において、倭姫命は天照大神と同じ役割を担っています。

前出の阿紀神社が配布する解説書では、「欲望をすべて捨て去り、ひたすら神にお仕えになられた倭姫皇女こそ神そのものだったのかもしれません」と記しています。
私も同感。倭姫命の存在こそが、神話における、天照大神の性格付けに大きな影響を与えたのではないか? そんな空想を起こさせてくれる、「元伊勢」に感謝です。

建物総合事業部・大阪支店 志方 正紀