12月の17日と18日、社員研修で知覧に連れて行って頂きました。
以前、淡谷のりこさんの自伝をテレビで放映した時に、
戦時中に巡業で知覧に行って若い兵隊さん達の前で歌う場面があり、
「明日は私の歌さえ聴けなくなるこの若い人達の前で歌うことが辛かった。
涙を抑えようとすると声がつまって、プロの歌手として歌えなくなったのは
この時が初めてで最後です。」
とご本人のナレーションが流れていたのを記憶しています。
知覧は戦時中に特攻隊の基地があった場所で、
特攻隊の若い兵士達がたまり場にしていた富屋食堂に一泊しました。
富屋食堂は当時、鳥濱トメさんが女将さんで「特攻隊の母」と呼ばれた方、
今はお孫さんのお嫁さんに当たる初代さんが切り盛りしていらっしゃいますが、
鳥濱トメさんの志も継いで特攻隊の話を聞かせて頂きました。
初代さんのお話しの中で、
「愚痴を1つこぼすと幸せが3つ逃げて行きます。」を聞いた時にハッとしました。
先日息子に「お袋、最近余り言わなくなっていたのに、今日は愚痴っぽいよ!」
と言われたばかりでした。そうなんです。私は愚痴っぱい。
でも、愚痴をこぼして一時的にさっぱりするのではなく、
愚痴をこぼさないようにどうしたら良いのかを考えて暮らそうと思いました。
又初代さんから、自分の存在価値は何ですか? 貴方のお仕事は何ですか?
命に代えても守りたいのは誰ですか? 家族にとってあなたは何ですか?
など、色んな質問がありました。
その都度、目の前にある紙に自分なりの答えを書いてみました。
自分の存在価値→???(即答出来ませんでした)
私の仕事→翻訳 守りたい人→子供達 家族の中の私→要
即答できなかった存在価値を今も自分に問いかけています。
私は父母にとって二番目に生まれた大切な命、姉弟にも大切に思われてます。
私が産んだ子供達も私を大切に思ってくれています。
これが答えなのかな? まだよく分かりません。
では、特攻隊で命を捧げた方々の存在価値は??
我が子なら私は行って死んで来いと言えるのだろうか?
絶対に!絶対に!嫌です!!
この質問に答える必要さえ無くて済むように私はどうしたら良いのか!
正直、昨日帰ってきたばかりで、まだ頭の中が混乱しています。
何をどう書いたら良いのかも、まだまとまっていません。
そもそも何故戦争が起きるのか? 避ける道はないのか?
<その時はそうするしかなかった> が答えでしょうか?
たぶん、誰も答えられないのかも知れない。
でも、起きてしまったことは、きちんと事実を語り継いでいかなければいけない。
決して自分にとって都合の良いことだけに耳を傾けたり、歴史をねじ曲げた解釈をすることなく、事実を伝えることで、今はまだ誰も答えられないことが、いつか、答えられるようになるのかもしれない。
米軍事業部 係長 Y. M.