農家に生まれて良かった

 私の生家は、秋田県北部に位置する比内町である。
いまでは「比内地鶏」の産地として少しは
名が知られるようになったが、私が子供の時分は全くの
農村地帯で、鶏肉を使った「きりたんぽ」料理は
祝い事などで食するご馳走だった。

 大家族の5男坊に生まれたわたしには1学年下の甥がいた。
私と甥は10歳ごろから、農作業の担い手とされていた。
農家では、朝飯前のひと仕事が重要な日課なのだが、
女の子は別格で、3人の姪達は中学生なっても
ほとんど農作業に手伝う事はなかった。

 春は雪解けを待って、冬場に馬で運んでおいた堆肥を
田んぼにまく力仕事から始まる。田植え前には、田に水をためて
土を柔らかくする代掻きが待っていた。
泥んこになりながら、甥が馬の手綱をとる役目、
私はシロの舵を取るのが役目だった。
泥が顔に跳ね、通学途中の女の子に見られるのが、
とても恥ずかしかったのを覚えている。

 田植え時期になると、1週間の「田植え休み」があった。
実際は夏休みの先取りなのだが、どの農家も
子供たちをフルに活用していた。

 秋はいよいよ稲刈りに始まり、稲の天日干しの
ハセカケへと続いて行く。最後には
最もきつい脱穀作業が待っていた。作業は夕飯後に始まり、
すべてが終わるにはたっぷり3時間はかかった。
脱穀機の傍につぎつぎと稲藁を運び、
モミと藁をかたづけるのが子供の仕事だった。

 こうして振り返ってみると、農作業は、泥んこの中を
素足で歩きまわったり、腰を曲げたり、重いものを担いだり、
鍬を力いっぱい振りかざして堆肥を切ったりと、
全身運動だったなと思う。

骨格の基礎は子供時代に作られるというが、
ごく普通の日常生活で鍛えられた筋骨が、
いまの足腰の強さにつながっていることを改めて感じる。
同じように、人生における様々な体験も、
向き合い方、とらえ方次第で、
自らの血や肉になりうるかも知れない。
丈夫な体を作ってくれた「農家のしきたり」に深く感謝したい

常勤監査役 千葉 久公