父の想い出

私の厄年にはいくつかの災いが降りかかりました。

その当時、私が勤めていた会社が何の前触れもなく突然倒産しましたし(不思議なことに前日、倒産した夢を見た私はその日上司とそのことで盛り上がっていました・・・まさか現実になるとは!)、乗っていた車が車検に出して間もなくダイナモがいかれ廃車になり、そして・・・私の父が亡くなったのもその年でした。

何のとりえもない父でしたが、趣味といえば映画鑑賞と音楽鑑賞。我流のクラシックギターが得意で、古賀政男よろしく演歌や懐メロをつま弾いていました。

古い1枚の写真があります。全身黒ずくめで、カウボーイハットに2丁拳銃を構えポーズをとる私。恐らく、小学校1年生くらいでしょうか。履物が長靴というのが微笑ましくて笑けてきます。おおかた、西部劇が好きだった父の着せ替え人形にさせられていたのでしょう。

こんなこともありました。私が幼稚園児のころ、百貨店に本物のゼロ戦がやってくるとかで、父に連れられ見物に行きました。雑踏で迷子になった私は初老のおばさんに近くの警察署まで連れて行ってもらいました。周りの警察官がやたら親切で、お菓子をくれたりしていたのは、父にその日買ってもらったパトカーのおもちゃを手に持っていたお陰でした。

よく夏休みなどに怪獣映画を見に映画館へも連れて行かれました。大銀幕のガメラやモスラに興奮していたのを思い出します。

小学生のころ、リバイバルで黒沢明監督の「七人の侍」を見ました。上映中に入っていき(当時は入れ替え制ではありません)、訳が分からず終わりまで見た後、最初から途中の見始めたくだりまで見るという、父独特の観方に付き合わされ、「なるほど、だからこうなるのか・・・」と、別の面白みも味わいました。

中学生くらいの頃、近くの公園でキャッチボールもしました。ぎこちない受け方、投げ方で精一杯私の相手をしてくれました・・・等々、思い出すときりがありません。

酒が入るとくだを巻く父が嫌いでしたが、本当に優しい父親だったと思います。

私を生み育ててくれたことに感謝します。この年になって、無口で地味だった父の大きな愛情を改めてかみしめる今日この頃です。 早いもので、父が亡くなってもうすぐ20年になろうとしています。

建物総合事業本部 山畑 道憲