面白いドラマが放送されていた頃、テレビっ子だった私はテレビにかじりついて、若き日のショーケンと水谷豊が共演した「傷だらけの天使」や、後には倉本聰脚本の「北の国から」などの秀作にのめり込んでいました。残念ながら、見たいと思えるドラマが消え去って久しいのですが(正直、ここ何十年とテレビドラマを見ていません)、かつてのような、胸ときめかせる感動のドラマが恋しくなり、自分で作ってみたい衝動にかられ、大阪市内にあるシナリオ学校の門を叩いたのでした。私としては、40代半ばにして思い切った行動でした。
初級クラスは「柱」、「ト書き」「台詞」といった脚本を構成する基本を学び、簡単な自由テーマの原稿用紙数枚の短編作品を創作します。それから中級クラスを2年ほどやって、今度は上級クラスになります。上級クラスは与えられた課題ごとに執筆し、その作品をクラスのみんなで批評するわけです。そこで出会ったのがS先生で、厳しい指導で有名でした。噂通りにS先生にはコテンパンに酷評されることが多く、お蔭で打たれ強くなりました。さらに、S先生に勧められるがまま、夜の作家集団クラスに入りました。ここまで来ると脚本を書いて報酬がもらえる、いわばプロ作家の端くれになるわけです。このシナリオ学校の最上級クラスとでも言いましょうか。少数精鋭クラスの作家集団クラスでは、書いた作品を公募に応募するために様々な意見を取り入れ、推敲し、それなりの脚本に仕上げていきます。
S先生にアドバイスを頂きながら、初めて書いて応募した長編作品が最終選考に残りました。その年の暮れのイベントにゲストで招かれていた選考委員の岡田恵和先生に直接批評頂いたのもいい思い出です。
毎週、授業が終わると皆で近くの居酒屋へ行き、シナリオ談議に花を咲かせます。S先生はお酒が好きでした。あんまり飲みすぎて私が最終電車に乗り遅れることもたびたびありました。S先生行きつけのショットバーでおごって頂いた後、学校が借りている近くのマンションに泊めてもらったことも何回かありました。また、校長先生とS先生にごちそうになったお寿司は美味しかったです。
ある日、学校側の事情でクラスの講師が変わることとなり、S先生を囲んで近くのお店を貸し切り、私が幹事で送別会をしました。ですが、私の仕事の都合で新しい先生の授業を受けないまま休学し、現在に至っています。
お世話になった学校や、S先生に恩を仇で返すような辞め方をしてしまい、今も申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。 S先生、お元気でしょうか。もし、復学したならば温かく迎え入れてくださいますか。
建物総合事業本部 山畑 道憲