あれは私が中学生の時だ。
中学も3年生になる頃、いよいよ高校進学に向けての
本格的な準備が始まった。
普通であれば、私立のドコソコの高校が良いとか、
公立だったらあそこが良いだとか、
具体的なビジョンを見据え、
担任の先生と面談をしていくような時期だろう。
私はと言うと、そもそも高校にいくかいかないかで迷うという
それ以前の問題で悩んでいた。
いや、正確にはなにも考えていなかったのではないか。
それほど当時の私はいい加減な少年だったのである。
そんな私を救ってくれたのは当時担任であった松村先生だ。
松村先生は美術担任の先生だ。
当時はあまり気にしていなかったが、
先生の履いていたサンダルはボロボロで
ガムテープで補修してあったり
髪の毛も伸ばし放題でバサバサだった。
親からみた先生はさぞかし頼りがいのなさそうな
先生だったのではないだろうか。
美術の授業の時のことだ。先生は授業をほったらかしで
準備室に籠もると、
なんと先生はギターを弾いていた。
美術の授業中に生徒を放置してギターを弾く先生。
世が世なら、ニュースにもなりそうな先生である。
そんなズボラを絵に描いた様な先生であったが、
中学の岐路に立たされた私を救ってくれたのが松村先生なのだ。
生徒をしかりつけるために呼び出す、
といったことをしたことがない先生であったが、
ある日突然、私は松村先生に職員室へと呼び出された。
何事か、と身構えてしまったが
私が出した進路調査票についてのことであった。
確か私は進路調査票には“高校にはいかない”と
書いてあったように思う。
先生は開口一番、
「とにかく高校には行け。中学校を卒業した程度の
しょーもない人間にはなるな」
「お母さんを心配させるな」
と非常に先生らしい、
不器用だが簡潔なアドバイスをいただいた。
いい加減な私には先生のその言葉が妙に心に響き、
駄目な少年だった私を導いてくれた。
正直、今の私もそれほどほめられた人間ではないが、
松村先生がいなければ
本当にしょーもない人間になっていたことだろう。
松村先生、元気にしているかな。
情報管理部 主任 北片 剣伍