自宅から歩いて行ける“歴史散歩”ということで、大阪府吹田市岸部にある、「吉志部(きしべ)神社」を訪ねてみました。同市の東部・紫金山丘陵にあるこのお社。その創始は古く、10代崇神天皇ご在位のころといいますから、古墳時代でしょうか。
実はこの神社、「元伊勢」だったという話もあります。元伊勢とは、天照大神が三重県の伊勢神宮に鎮座する以前にお祀りされていた場所のこと。伊勢神宮に至るまでに、さまざまな地域を遍歴します。
「吉志部神社」の社伝では、「崇神天皇の御代に大和の瑞籬(みずがき)より神を奉遷してこの地に祀った」とされているそうです。要するに、当時の都であった「磯城瑞籬宮」(奈良県桜井市)で祀られていた神様(=天照大神)を遷し、吉志部神社でお祀りしたということですね。
もっとも、記紀や「倭姫命世記」(中世に成立した神道書。天照大神の遍歴について詳細な記述がある)などには載っていません。ですが、そもそも天照大神の流浪というのが神話の域を出ない伝承ですから、真偽を問う必要はなく、ロマンを感じるだけで良いと思います。いずれにせよ、大昔から篤い信仰を集めていたことは確かでしょう。
そして、この神社の境内には、「吉志部瓦窯跡」という国指定の史跡があります。瓦窯というのは、読んで字のごとく、瓦を焼く窯のこと。吹田市のHPによると、この瓦窯は、平安京の造営当初の瓦を生産していたそうで、近くには、掘立柱建物跡、井戸跡、回転台跡、粘土採掘坑などの遺構も見つかっており、大規模な造瓦工房を伴っていたようです。
吹田市といえば、1970年の大阪万博前後の宅地開発によって発展した、新しい街のイメージが強いのですが、そのおおもとは、古代から続く淀川水系の河港とその港町。瓦窯で生産された瓦も、近くを流れる安威川や神崎川、淀川をさかのぼり、船で京都へ運び込まれたのでしょう。そんな歴史空想を存分に膨らませることができる、わが地元に感謝です。
建物総合事業本部 志方 正紀