「昔じゃ考えられないな・・・」
この言葉が私の頭に浮かんだ。
私の母は長男である私の事を大層可愛がって育ててくださり、私の実家にはその過程制作された母オリジナルのアルバムが大量にある。
凝り性な性格も相まって、独自のセンスでレイアウトされたアルバムは1ページ1ページに私に対する想いが溢れる工夫が施されており、そんなアルバムを眺める事が密かにマイブームとなった時期もあり(どんだけ自分好きやねん)そんな環境で育った私は母が作ってくれたアルバムは一般的に「当たり前」の事だと認識して大人に成るまで生きてきた。
しかし、そんな素敵なアルバムも当時はフィルムカメラで撮影されており、「現像してみてからのお楽しみ」という一発勝負で生まれた写真達で構成されおり、だからこそ切り取ったその瞬間に価値が生まれると云う良さもある反面、情報量としては拙くもあるのだ。
アナログ時代のカメラマンは本当に大変だったんだろうな・・・
なんて、昔のカメラマンに対する敬意の念を 本題に戻る!
アナログ写真やその写真と製作者の想いで構成されるアルバムには、古き良きあたたかさと趣を感じるが、だからこそ生まれる1枚の価値とは別に、情報量が少ない事や上手く撮れているか確認出来ないという側面がある。
一方で、デジタル写真やデジタルアルバムはアナログ写真の問題を解決している上に、圧倒的に高画質で撮影後すぐに確認が出来、撮り直しも簡単。撮影枚数も圧倒的に多い上に、管理も簡単と良いとこばかりである。
まぁトライアンドエラーを重ねて進化してきたのだから「あたりまえ」なのかもしれない。
しかし、この記事ではこの「あたりまえ」の尊さに触れたいのだ!!
私の母のアルバムにしても、アナログ時代のプロカメラマンにしても、技術進歩に貢献してきた研究者や、ITインフラの普及を加速させた技術者にしても・・・
多くの人の努力や情熱、おもいやりの上に今日の「あたりまえ」がある。
そして、その「あたりまえ」とは、「いまでこそ」であり、一昔前は高価で希少でめったに出来ない、大変貴重であったかもしれない。
一般市民である私が、気軽に利用できる「あたりまえ」なサービスに対して想像を膨らましていろんな事をイメージしてみた結果、「あたりまえ」の有り難さと「あたりまえ」を提供することから始めるビジネスのヒントをGoogleフォトから学びました。
最後に、Googleフォトで10年前の今日を調べて出てきた写真を紹介します。
建物総合事業本部 部長代理 白栁 広賢