11月末は母の誕生日でした。入社後初めて親の誕生日休暇を使わせていただき、母への贈り物を用意する時間とさせていただきました。友人のもとで、画像のフラワーアレンジを作りました。在学中に友人が起業し始めたフラワーアレンジメントで、以前はオンラインが主でしたが、今年埼玉に教室をオープンしたそうで、久々の再会を果たすことができました。アレンジに使われているのはアジサイやバラ、カスミソウを加工し染めたプリザーブドフラワーと呼ばれる枯れないお花と、アーティフィシャルフラワーとも呼ばれる手作りの造花です。フォトフレームやグルーガンなどの材料と器具を用意してもらい、あとはアドバイスをもらいながら思い描くままに構成することができました。教室の雰囲気もとても良く、作業に没頭しつつもどこかゆったりとした心地の良い時間を過ごすことができました。卒業後、違う土地でも続くご縁と友人に感謝です。
先日は年の離れた弟の誕生日でした。9歳下なので昔からおむつを替えたり何かと世話を焼き、私はまるで二人目の母のような感じだねと自他共に認めているような状態で、あんなに小さかった弟が生まれてからそんなに時が経っていたことに驚き、私の身長も越して着々と大人になっている様は嬉しく、あんなに小さかった命が大きく意思と自我を持ち私を抱えてしまえるくらいになっている事実に圧倒され信じがたいような気持ちになります。
そうして育手の一人としての感情を抱えていると、ふと母が私に抱くそれを想像したりもします。母は私が人生で最も長く時間を共にした人であり、また生まれてからずっと愛を注いでくれている人です。私が健やかに成長できたのは、その愛あってこそだと思います。
小学生の頃、家で友達を招き誕生日パーティを開くことがありました。友達は皆母がきれいで優しくてうらやましいと言ってくれ、自分が当たり前と思っていたことは他者にとっては羨ましく映ったりもするのだと最初は不思議に思い、また徐々にそう言われる母を持つことを自慢げに思うようになっていったと想起します。
中学生、高校生と大人になると、母は母でなく一人の人間なのだということを強く意識するようになりました。母は、娘の私や子供たちの前では常に一人の女性である前に母であろうとしてくれますが、それはそう在ろうとして初めて見せてくれている姿なのだと認識するようになりました。
社会人になってみると、子供の頃思っていたよりも私は母と似たところが多いことに気が付きます。それは裏を返してみると、物事に対する姿勢や気質の面で多くのものを母に授かっていることを表しています。オープンで寛容でいながらも頑張り屋な母に育ててもらったことを誇りに思い、愛情を注いでくれていることに感謝し、この感謝を伝えることのできる時間を大切にしていきたいと思います。
米軍・海外事業部 L.C.