叔母 米寿のお祝い

今年で叔母は米寿(88歳)を迎えました。

この叔母は、家内の父の弟の奥様で六本木にお住まいです。私が就職して着任した事務所が芝公園だったため、まだ家内とは結婚はしておりませんでしたが何かと面倒をおかけしておりました。

新入社員として、また関西の地を離れ上京をしたお上りさんの若造だった私は、浜松町、新橋で遊んでおればよいものを、なぜか六本木との地名の響きにあこがれ、居酒屋ではなく外国人が多くあつまるBarに行っては悦にはまっておりました。

ある時、六本木の飲み屋さんで新入社員の同僚数人と飲み会を行いました。お支払いの段となったとき全員の持ち金を合わせても少し不足する事態が発生しました。

当時は夜間のキャッシュディスペンサーもなく、当然クレジットカードも持っておらず、考えた末にまだ結婚はしていなかった家内の叔母が六本木に住んでいることを思い出し頼るしかないと考えました。お店に同僚を残し、その叔母にお金を少し工面していただけるよう、公衆電話で関西にいる家内にお願いすることにしました。数分後、初めて見る叔母が店に来てくださり、この店の会計を無事済ますことができました。

その後叔母に、私と同僚含め別の飲み屋さんに連れて行かれ、優しく注意を受けたものでした。

それ以来叔母の旦那様(叔父)は、私のことを「とんでもない奴!」とレッテルを貼りつつも、家内と結婚する前から、「おいしいトマトソースを炊いたから食べに来なさい。」「気に入ったお雛様を買ったから見に来なさい。」と頻繁に招いてくださるようになりました。こちらも花見シーズンになるとゆっくり花見ができる佐倉城址にお誘いすることもありました。しかし毎回、六本木でお金が足らなくなるまで飲み、叔母を煩わせたことを話されておりました。

しかし、その叔父は私たちが結婚した数年後、旅先で体調を崩し帰らぬ人となってしまいました。

叔父がなくなってからは六本木の自宅にお伺いすることはありませんでしたが、叔母は、子供がいらっしゃらないこともあり、家内達三姉妹のことに関してはとにかく面倒を見てくださいました。私どもが川崎に住んでいた時は、家内の2番目の姉の住まいが近かったこともあり、クリスマス・正月・甥・姪の誕生日、入学、就職、結婚等のお祝いの席には必ず六本木から出向いて下さり、自分の子供、孫に接するように心から祝福を頂き楽しいひと時を過ごさせていただいておりました。

この度、その叔母が米寿を迎えたことで、家内を含めた三姉妹と車の運転のため2番目の姉の旦那様でお祝いの旅行をする企画が持ち上がりました。

それを聞いた私は、結婚前からお世話になっている叔母のお祝いに参加しなくてよいものかと思い、「俺も行くわ!」とすぐに参加を決めました。これは、叔母の面倒を見ている2番目の姉からや、家内から、「だいぶ老いが進んできた。」との話を聞いていたことにも起因します。

そこで、1番上の姉の旦那様にもお声がけし、結局三姉妹の夫婦全員で「お祝い旅行」を行うこととなりました。

行先は、熱海温泉です。おいしい食事をいただき昔話に花を咲かせました。

残念ながら、各々の子供達は仕事の都合上参加することがかないませんでしたが、お祝いの品に添え、色紙をお贈りさせて頂きました。

色紙は、叔母にとって私達 甥・姪、大甥・大姪、曽姪孫の写真と一言を添えたもので、叔母はゆっくり時間をかけて眺め、おおいに喜んでくださいました。

当然、私の結婚前の六本木での出来事もしっかり話題となったことは言うまでもありません。

当日、翌日とも風がとても強い日であったため、足腰が少し弱ってきた叔母を観光施設にお連れすることがかなわないものと考え、伊豆・箱根の景色を車で楽しむ旅になってしまいましたが、たいへん充実したひと時を過ごすことが出来たものと思います。

おばさん今までありがとうございます。

これからも元気で、楽しい人生でありますよう祈念いたします。

建物総合事業本部 大阪支店 田中 裕士