一通の投書

時にクレームや投書は、
自分たちが見落としてしまっている大事な事柄を教えてくれる。
私もかつては現場が多く、苦情や投書の対応も仕事のひとつだった。
どんなに小さく思えることでも、
真心を持って真剣に取り組むことを基本とし、
原因を追及し、そこからくみ取った教訓を
どう組織に生かすべきかと試行錯誤した。

 そんな中、
「自分の指導が行き届いていなかった」
と深く反省させられた一件がある。

 ある朝、子供を連れた母親が交番に駆け込んできた。

「子供が自転車で通学中に、後ろから来た車にはねられ、
自転車を壊された。相手はそのまま逃げた」

とのことだった。
機転のきいたその子は、倒れながらも
下2ケタのナンバーを覚えていたため、
母親が

「車の持ち主を捜して取り締まって欲しい」

と訴えてきたのだ。

 この時、交番の担当官の対応が悪かった。
母親と子供がどんな思いで駆け込んできたかに、
思いを巡らすことができなかったのだ。

「下2ケタだけでは、
コンピューターで調べるにはお金も日数もかかる。
すぐには突き止められない」

などと言ってしまった。
深夜の当直で疲れていたのかもしれないが、
それは言い訳にならない。
母親はその日のうちに新聞に投書した。
翌日、「不適切なお巡りさん」という文章が投書欄に載った。

 その後、逃走車を捜すために毎朝同じ時間帯に検問を行い、
無事に運転手を検挙することは出来たが、
一言が招いた信用失墜は計り知れないものだった。

 交番の仕事というのは、いつ何が飛び込んでくるかわからず、
すべてを満点にこなすことはなかなか難しい。
それだけに「常に相手の立場に立って考えること」を
指導してきたつもりだったが、残念ながら徹底していなかった。
もし担当官が「自分の子供だったら」との思いで
対応していたら、別の言葉が出たと思う。

 私はこの一件を貴重な教えとした。
幸いにも、最後の奉職で若い人たちの育成に携わる機会を得たため、
未来を担う若者たちに

「相手の立場にたつことの大切さ」

について強く訴えたつもりだ。
いまはその思いが、
彼らの中で実を結んでくれることを切に願っている。

常勤監査役 千葉 久公