3月兄の7回忌を執り行いました、
常々親父の歳は超えたいと言っていました、
父親は64歳で亡くなっています、超える事3年67歳で亡くなりました、
今の時代にしては早過ぎる年齢ですが、目的の歳は超えたのですが、
家も建て直したばかりでやはり心残りはあった事でしょう、
兄とはよく喧嘩していましたね、
兄弟6人でしたから3組に分かれて喧嘩していたようです、
姉2人、兄と私、弟と妹、ほとんどこのカップルでした、
さぞ五月蠅かったでしょうね。
兄とのエピソード昔々の事ですが
兄が5歳私3歳位の時疎開先の出来事です、
いつも兄の後を金魚の糞みたいにくっついて歩いていたらしいです、
その時も兄の後を追っていたらしいのですが、
兄がどんどん先に行ってしまい、迷子になってしまい、
多分泣いているところをどなたかがお風呂屋さんに連れて行ってくれ
{この子知りませんか}とお風呂屋さんの番台に座らせて貰い
知っている人を探してくれたようです、
そしてご飯をたべさせて貰い、林檎を持って番台にすわっていたようです、
その時の記憶は定かではありませんが、これだけは鮮明に覚えている事があります、
食べさせて貰ったご飯が白いご飯、こんな事言うと不思議がるとおもいますが、
戦時中か戦後まして疎開先たべるのもままならない時、
ご飯といえばほとんどサツマイモ入りの米粒が浮いている雑炊だけ、
多分お腹すかしていたのでしょうね、
見かねて食事をさせて下さったのでしょう、
お米の白さと林檎の赤さを覚えています、
林檎なんて食べた事なかったですからね、
後で母親が警察から叱られたと言っていました、
あの時何もなかったのは運が良かったのでしょう、
俗に言う人攫い、今で言うと誘拐でしょうか?があった時代です、
その時関わって頂いた方々有難うございました、
もし親切な方がいなければどうなっていたか、
母親に心配をかけてしまいましたごめんなさい、
でもこんな不遜な事思っていた自分もいました
{一人っ子でもっといい家に生まれていたらよかったな、
毎日美味しいご飯たべられるし、何でも買ってもらえるし}
子供の時そんな事思いませんでした?私だけ?
金魚とその糞の写真が出てきました、この時代にこの洋服よく有ったな、
匕五三の時だと思います、昔はいい暮らししていたんですね、覚えはないけど。
取締役 管理本部本部長 平澤 優美