先日、帰省をしました。
帰省を辞書で引いてみると「郷里に帰ること」とあり、「郷里」といえば生まれ育ったふるさとを指すとありました。
引越し続きだった私は、得難いことに帰省先がいくつかあります。国内では、生まれてからの数年と大学時代とを過ごした阪神、小学校と高校の数年を過ごした母の故郷である沖縄に帰ることができました。
こうして帰る場所を示す場合、ふるさとよりも地元よりも、ホームという言葉がしっくりきます。英語では”Home is where the heart is”=心があるところがホームだ、という言い回しもあり、必ずしも実家などの物質的捉え方ではなく、心の在り処を示す概念としてもつかわれることがあります。
今回の帰省、特に関西への帰省は久しぶりで、友人や家族以外にも学生時代お世話になった大学の教授や元バイト先の方とも会うことができました。数年を経ても変わらない風景や同じように笑える友人がいる一方で、卒業してからの年月を感じさせる成長や摩耗やコロナによる様々な影響を感じ、場所だけでなく時間も行ったり来たりを繰り返すタイムトラベルをしているような感覚を覚えました。
例えば大学のキャンパスや最寄りの駅といった場所そのものにも懐かしさを感じますが、その場所を「帰る場所=ホーム」として認識する最大の要因は、どこであろうと「人」なのだと私は思います。どれだけ懐かしい景色であろうと、そこで住まう人が全く入れ替わり、見知った人が一人もいなければ、やはりそれは知らない街として認識されてしまうように思うからです。人が生きて年月を重ねるのを反映して、街も変化します。…懐かしさを覚えないわけではないでしょうから、例えば見知った人の子孫に会うような感じかもしれません。
阪急電車に揺られると落ち着くし、大阪のランドマークであるHEPの観覧車を見たときは「梅田だ!」と実感がわいたものの、「帰ってきた」と思わせてくれるのはいつだって、ただいま、久しぶりと言葉を交わすことのできる人の存在です。
また、思い入れの少なかった土地を自分にとっての新たなホームへと変えてくれるのもまた、その場所で交流する人の存在です。大学の教授にあったとき、たくさんの人に会えたことを話すと「しっかりと根を張っていたんだね」と言葉をくれました。先祖とのつながりに「ルーツ」という言葉が使われるように、そうした縁がその場所に根付くということなのかもしれません。
ホームをホームたらしめてくれる、人とのつながりに感謝です。
米軍・海外事業部 L.C.