先日、母の誕生日に誕生日休暇を取得させていただきました。
昔から何が欲しいか訪ねても何もないと答える母へ、今年は手袋のように手を保湿するハンドパックと手紙を用意することにしました。18年間そばにいた母と離れて何年か経ちましたが、心の距離が変わらなければそう寂しくもないものだと思い、けれどそれは母が変わらず絶対的な愛を注いでくれるからで、またインターネットやインフラを用いて言葉を交わしたり会ったりできるからこそだと思いを巡らせました。
何年か前に渡した手紙で母が涙を流してくれたことはありましたが、今年は「よく分かってるね」と手紙の内容に納得するように頷いていました。特に泣かせようとして手紙を書いたわけではないのですが、手紙を発見した瞬間母は「泣かせる気か」と言っていたので、そう言われると次はそんな手紙を書くのも良いなと思ってしまいます。
母が私を生んだ年齢に自分自身近づいてくると、当たり前のように受け入れられている出産や育児の凄みに圧倒されます。出産は宇宙の果てよりも近い地上の出来事で、その仕組みは比較的解明されているとはいえ、人間を生み出し育てるということは、常識として受け入れられてる中では忘れがちだけれど、筆舌に尽くしがたいおおごとなのだと感じます。
誕生日という特別な日を、なんでもない平和な一日として過ごせるのは決して当たり前ではないのだと昨今よく思わされます。たとえ何かの記念日でなくとも、平凡な一日を過ごせることが特別尊いことなのだということを心に留めて、日々を大事に過ごしていきたく思います。
誕生日に母と共に過ごすことを可能にしてくれた休暇に感謝いたします。
米軍・海外事業部 L.C.