残留孤児

以前ある方と出会いしました。

私よりも6つほど年上で、知的でありユーモア溢れる男性です。彼をAさんと呼ぶことにします。Aさんとの出会いは省きますが、映像クリエイターである傍ら、ご自身の経験、葛藤を基に自叙伝も出版されており、幅広いジャンルで活躍されている方でした。Aさんと出会ったのは1年半ほど前で、そこからさまざまな方をご紹介いただき、素敵な時間をご一緒させていただいております。たくさんの友人、仕事仲間が沢山おり、そんな方々に囲まれ、周りに気を遣うことを忘れずに立ち振る舞われてる素敵な方です。

話はガラッと変わりますが、皆さんは[残留孤児]という言葉をご存じでしょうか?恥ずかしながら私は知りませんでした。

戦時中、軍事目的及び様々な目的を持って中国北東部に滞在及び生活されていた日本人は少なくなく、その方々の家族などの関係者も同様に中国を拠点にされている方がいらっしゃいました。終戦後、日本に帰ることになる当時の人々ですが、そのような混乱期に子供を抱える親御さんは生き延びるのもギリギリで、帰国までの費用を捻出できそうもない人などは「せめて自分の子供は助けたい」という思いなどから、現地の中国人に自分の子供を預けたりすることがありました。

 私がこのような歴史的事実を知ったのは、Aさんの自叙伝を読んだからであり、Aさんの御祖母様がその残留孤児であったことが記されていたからです。御祖母様はその後大変な生活の中、中国内でご結婚され娘さん(Aさんのお母様)をご出産、娘さんもその後中国籍の方とご結婚されやがてAさんが産まれます。Aさんはいわゆる残留孤児3世と呼ばれる方でした。日中国交正常化に伴い1981年、御祖母様は日本へ帰国され、新しい生活をしていくこととなります。のちにAさんは日本で産まれますが、周りの同級生とは、とりわけ異なる家庭環境の中で、そのことに疑問を持ち、なぜ周りと自分は違うのか、自分とは何なのか、自身のルーツをもっと知りたい、そのような様々な思いから、小学生で単身、ご祖母様が育った中国北東部ハルビンへ行き、日本の学校からハルビンの学校へと転校するのです。読ませていただいたのは、ここまで記載した詳細と、その後本人が大人になる過程でどのような思いで過ごされていたか、何をしていきたいか等が記された本でした。

その本を通じて私はAさんの芯の強さの理由を知ったと同時に、そのバックボーンに潜む苦悩を垣間見ることができました。その中で培った意思と行動力が今の仕事につながっているんだということを肌で感じ取る機会を頂きました。

過去の歴史と生き方を教えてくれたAさんには、すこしでも何か恩返しができたら良いなと考えております。これからもよろしくお願いします。

事業統括本部 白栁 瑛人