エイト社員ブログ「理由」

人間の行動には意味の無い行動はおそらく存在しない。
人間の行動にはわかり難い部分もあるが
学問上の解釈がなされている場合が多い。
例えば、目のちょっとした位置ですら心理学的には意味をなしているという。

恐らく皆さんも聞いた事がある話。
質問を答える時に瞳がどちらかを向いていれば
過去を思い出しているとか、話を創っているとかいう話である。
書く筆跡にも人間性が現れて誰が書いたかを鑑定できるし
筆跡を見て性格なども鑑定する学問もある。

動物だと人間の様にしがらみやその他が無いので兆候は顕著に見られる。
例を出すと鳥である。(某漫画にも出て来て丁度良い題材でした)
鳥はところ構わず糞をする。
電線に止まった鳥の糞に爆撃された事がある方も多いだろう。
私も三度ほど経験がある。
なぜ鳥は所構わず糞をしまくるのだろうか?
鳥の一番の特徴といえば大空を自由に飛び回る事である。
飛ぶためには様々な要因があるが
糞を所構わずにする事により得られる機能で密接に関わる事がある。
それは飛ぶ事である。
飛ぶ為には身体を軽くする必要があり
体内にある無駄な物質は排除するからである。
この様に他方の生物から見れば無駄で害のある行動だが、
鳥からすればその生物の一番の強みである機能を維持する為に
必要な事だったりしている。

この様に生命は実に良く出来ていて
ほんの些細な行動も馬鹿には出来ないと私は思う。
この文章を書いていて思う事がある。
私が生きて来たなかで人間には他の生命には無い自らの選択がある。
それは死以外の別れという物である。
動物であれば縄張り争いや地形の変化や生命を維持するのに
困難に直面する場合には自らの居場所を去る場合がある。
人間はどうやら違うと感じる。引越し・転職・離婚等など理由は様々ある。
家族・友人など人の数だけそれは存在する。

私は出会いも重要だが
別れはもしかしたらそれ以上に重要なのかもしれないと感じる。
家族はもちろん、師の様に慕った人物・
血は繋がっていなくても兄弟の様に思えた人物
同じ志を持った同志、時には一番大切に想っていた人かもしれない。

自分の心の中で存在が大きかった人との別れこそが
重要になってくるのではないだろうか?
別れは去り行く人の最後の“行動“だと私は思う。
必ずしも双方が納得して去るわけでは無い。
納得した別れじゃない場合は、
残った側は最後のメッセージを重く受け止めなければならない。
生命は意味の無い行動は無いのだから。

建物総合事業本部 主任 鈴木 将斗