エイト社員ブログ「馴(な)れから離れる」

『 行く先に都の塔や秋の空 
  もう、京都へは行かないのかと炭太祇(たん たいぎ)の句が誘う。 』

竹西寛子(たけにし ひろこ)さんの随想集に、こんな一文が載っています。 
これについ乗せられて、紅葉にはまだ間がある(10/7)のですが、
十七年ぶりに京都を訪ねました。
私自身は無信心であり、『日本は神なき社会といわれているが、
考えてみると、この水と緑の豊かな風土でどんな神が必要なのだろう』
という立原正秋(たちはら まさあき)さんの意見に賛成ですが、
京都の街では何度も参拝していました。

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(左)金閣寺
(右)銀閣寺

さて、私が十七年前(1997年)に京都を訪ねた時の旅メモに、
次のような行程が書かれていました。

7/30
長岡天満宮→嵐山、美空ひばり館→オルゴール博物館→天龍寺
→太秦(うずまさ)映画村→妙心寺→竜安寺→金閣寺

7/31
(宇治)万福治→平等院→伏見稲荷神社→東福寺→銀閣寺

当時、京都駅から嵐山まで電車で行き渡月橋(とげつきょう)を渡って、
とても暑い日差しの中をバッグ一つ担ぎながら徒歩で歩き回った記憶が残っています。

今回の旅の大きな目的は、「京都御所」を訪れることでした。
京都御所・仙洞御所・京都迎賓館を含む面積約63haの国民公園全体は
「京都御苑」と呼ばれ、広大な敷地は京都市民の憩いの場所になっています。
広さで言えば、
昭和記念公園(立川市)が148ha、新宿御苑が58haですから、
京都御苑は、新宿御苑よりほんの少し広めで東京ドーム13個分くらいです。

京都御所(南北450m、東西250mの方形)は
東京に遷都されるまでは歴代天皇のお住まいであり、歴史上重要な舞台です。
http://sankan.kunaicho.go.jp/index.html

主な建物には、紫宸殿(ししんでん)、清涼殿(せいりょうでん)、
小御所、御学問所、御常御殿などがあります。
紫宸殿と清涼殿については、次のように捉(とら)えていました。

紫宸殿は、様々な儀式を執り行う正殿で、
大正天皇と昭和天皇の即位の礼もここで行われています。
正面に18段の階段があり、そこから登り降りをしますが、
無論一般人が登る事は許されていません。
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清涼殿は天皇の日常の御生活の場で、
建物内は紫宸殿よりは細かく仕切られています。
中央の母屋は天皇の休息所でした。その東には天皇の執務所である
2枚の畳を敷いた昼御座があります。
見学コースからは、中の様子がうっすらと窺(うかが)えました。
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京都は、平成6年に、世界遺産条約の文化遺産条約リストに、
「古都京都の文化財」として17の社寺が一括登録されています。
金閣寺と銀閣寺もその中に含まれます。
日本では、法隆寺、姫路城についで三番目です。
最近では、富士山がこれに加わりました。
富士山登山の現状はどうも感心しません。
屋久島や白神山地などとの比較ですが、もっともっと大切にしたいものです。

ところで、竹西寛子さんの著書『望郷』の中に、
「馴(な)れから離(はな)れる」という表題のエッセイが載っています。

(抜粋)
『・・・日頃疑いをもっていない内容についても、
一度は離れて対象化してみる必要があり、それは言うまでもないことながら
易しい作業ではない。
しかしこういう経験を私という人間は大切にしなければならない。・・・』

勿論、旅のことを言っているわけではありません。
しかし、いくばくかの余裕を持って見ることの大切さは竹西さんの言うとおりだと
感じています。日常の生活習慣から、たまには離れて見ることも必要です。
それによって、また前進するエネルギーが湧いてきますから。
旅をすることは、これにぴったり当てはまる気がします。
宇野千代さんの『感動は行動に結びつき、人生を愉(たの)しくする』というのも
大好きな言葉です。

年を重ねると、体のあちこちに綻びが出てきます。
しかし、「いいものを見る」「心のどよめき」「よろこび」を、
できるだけ自分の足で歩いて、たくさん味わいたいものです。
今年、亡くなった親父の年齢に並びました(68歳)。
来年の健康を少し気にしながらも、大きな病気もせずにここまで来れたことに、
心から感謝しています。

『裏をみせ 表をみせて 散る紅葉』までには少し早目の旅行でしたが、
京都は、五大(地水火風空)のバランスがとれた姿を相変わらず留めていました。
いつかもう一度訪れ、今度は「嵯峨野トロッコ列車」に乗りたいと思っていますが、
さて叶いますかどうか。

参与  大隅 晃